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| 西に仕事に行った帰り、(どうせここまで来てるんだから…!)と念願だった北原白秋の故郷・柳川を訪ねたい!と思い立ち九州に 上陸。 (大分)何度か演奏に呼んでいただいた、別府大学の方に久しぶり(6年振り)にお目にかかった。ご無沙汰にも関わらず、 変わらないお心のこもったおもてなしを受け感激の1日。 ![]()
(久留米〜柳川)大分からは久留米で西鉄に乗換えて柳川を目指す。久留米は“乗換え”のはずが、こちらがブリジストンのメインタウンで、タイヤに興味がある訳ではないのだが(すいませんm(__)m)、 美術館が東京より素晴らしい!と教えていただき途中下車。石橋文化センターを目指す。 途中、久留米が画家 青木繁と坂本繁二郎の出身地とは知らず、青木繁の生家や坂本繁次郎のアトリエが在ると聞いて、 またまた寄り道。彼等の生涯を知るにつれ、益々その作品に興味が湧く。 石橋文化センターにはその作品の多くが展示されていると聞き、喜び勇んで美術館に。 広々とした敷地の突き当たりに美術館はあり、著名な外国の画家達の作品が並び、別館には上記の日本の画家達の作品が。 いやいや堪能しました。 ![]() いよいよ足を柳川に向けて西鉄に乗ることに。大きな街の久留米から柳川まで直通は一時間に2本位。それを待って乗り込みおよそ 20分…着きました。駅前は普通の街。水郷は少し先。まず観光協会に入って今夜の宿を確保。…そして腹ごしらえ!名物の「鰻せい ろ蒸し」(これも観光協会で情報ゲット(^_^)v)いや〜美味しい(@_@)。普通のうな重ももちろん美味しいですが、蒸されてタレの充分 染み込んだご飯は、最後の一粒まで美味しかった!
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さてさて本筋。ホテルに荷物を置いて、本来の目的“白秋”の生家へ!アクセスは駅前からバス(1時間に1〜2本しかない)か、
川下りの船。(まあ乗ってみるか!)とばかり、人数が集まるのを待って船に乗り込む。のんびりとした船頭さんの説明と共に川から
外掘り、そして内掘りへと進む。声自慢らしい船頭さんは時折、白秋の詩に山田耕筰が曲を付けた歌を歌いながら棹を押す。何とも、
のどかな風情。バスで行けば7〜8分のところを、75分かけてようやく到着。そこはまるでタイムカプセルに乗った様な昔ながらの風景が広がる。道を折れ数件先に白秋の生家は有る。大きな造り酒屋で彼は 豊かな環境で育った。ここから多くの詩が生まれ、私達の歌う歌になってきたのだ。“AIYANの歌”にある柳川の言葉(NOSKAI・ONGO・ GONSHAN等)を、この街の風景の中で実感する。 (2007.08.07) <14>〜報告!2003年 夏休暇の旅日記〜2
早いもので旅行からもう1ヶ月経ってしまいました。もうすでに、又ヨーロッパの空に憧れている私です。 7/15〜7/31 ザルツブルグに休暇滞在しました。マイレージのお陰でピークシーズンにもかかわらずチケットも取れ、無料!至福。
<12> ザルツブルグ ザルツカンマーグート (オーストリア) その6 バート・イシュル ザンクト・ヴォルフガング湖をさらに進むと山に囲まれたバート・イシュルに着く。 「バート」というのは「風呂・温泉」と言う意味。この「バート」と言う言葉が付い ている地名には必ず温泉地がある。日本の温泉は娯楽性が強く、全裸でお風呂に入る 感覚だが、ヨーロッパでは療養の意識が強いのでみんな水着着用。日本の温泉に知ら ずに入ったらさぞや驚くだろう。 さて、そのバート・イシュルもその例に漏れず温泉の街だ。他の温泉と何が違うかと 言えば、ハプスブルク家ご用達の温泉地であること。街の真ん中に川が流れ、小高い 丘にはハプスブルク家の瀟洒な猟の館がある。夫フランツと共に訪れたエリザベート (シシィ)は美容のためにここで過ごしていたという。この家の中はガイド付きで見 学できる。仮で討ち取った獲物の剥製の他に、シシィが暗殺されたとき身につけてい た衣装や写真、そのニュースを伝える記事なども展示されている。 穏やかなときの流れるこの街は音楽家にも愛されブラームス、ヨハン・シュトラウス なども別荘を持っていて互いに交流があったそうだ。オペレッタ「メリー・ウィド ウ」の作曲家であるレハールは生きているうちに名声を博し、晩年を過ごしたの見事 な館は川のほとりに今もある。入場料を払うとガイド付きで案内してくれる。(私が 行ったときは私ひとりだけだった!)プレゼントされたシュタインウェイのピアノ、 螺鈿細工のテーブル、聖母マリアの七宝焼き・・・これなどは世界に3つあり、一つ はバチカン、一つはイギリス王室、そしてレハール・・・。彼がどんなに人々に愛さ れたのかが圧倒された品々で分かる。交流のあったプッチーニからの書簡も展示され ていた。機会があったら是非立ち寄っていただきたい。 <11> ザルツブルグ ザルツカンマーグート (オーストリア) その5 ザルツブルグの奥座敷。美しい湖がたくさん有るところです。 遠くにアルプスが見える晴れの日にはキラキラと水面が輝きそれは美しいところで す。 ![]() 写真 ホテル「白馬亭」にて
☆フシュル湖 |
ミラベル宮殿前のバス停からポストバス(郵便局が運営しているバス。国鉄バスのよ うな物)でおよそ30分。始めの湖が左手に見えてくる。湖畔には昔の館が立ってい る。今はホテルとして私達も訪れることが出来る。 よくザルツブルグ在住の知人とここまでお茶を飲みに来る。湖畔のバルコニーでの風 景と小鳥のさえずりの中、それは極上の時間。 ☆ヴォルフガング湖
更に30分ほどバスで進むと次に大きな湖が現れる。バスを降りてすぐの町がザンクト・ギルゲン、モーツァルトのお母さんの生地、姉の ナンネルの嫁ぎ先。偶然にもこの二人は時空を超えて同じ建物で暮らした。旧市庁舎 前にはバイオリンを持つ子供のモーツァルト像が噴水に立つ。天気の良い日、山側の ロープウェイに乗って頂上まで行くとオーストリアアルプスの絶景が見られる。 写真(左) ザンクトギルゲン旧市庁舎 モーツァルト少年像 写真(右)モーツァルトの母の生家。後、姉、ナンネルが嫁いで住んだ家
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湖畔に着くと船着き場があり、対岸のザンクト・ヴォルフガング、この湖一の大きな
街に渡ることが出来る。オペレッタのモデルになった『白馬亭』という由緒のある宿
があり、歴史的教会がある。山側に歩くと季節限定の赤いかわいい登山電車の駅に着く。サウンドオブ・ミュー ジックのドレミの歌のシーンで出てくる登山電車がこれ。頂上はかなり寒く、片側は 絶壁。360度の美しいパノラマが見渡せる。(つづく) 写真 ヴォルフガング湖にて (2003.3.29)
| <10> ザルツブルグ(オーストリア) その4 カラヤン! ご存知の方も多くいらっしゃるでしょうが、ヘルベルト・フォン・カラヤンはここ ザルツブルグで生まれました。 新市街と旧市街の間に流れるザルツァッハ川に架かる橋の中でも、最も旧市街が美し く見えるマカルト小橋のほとり(新市街側)に彼の生まれた家があります。建物の2 階部分だそうで、入り口の上方にプレートがあります。 彼の活躍は皆さんの知るとおり、ベルリン・フィルの音楽監督でした。 1960年に祝祭劇場が完成し、1967年からのイースター音楽祭(復活祭期間 に行われる)には、ベルリン・フィルを引き連れてやって来た。コンサートオーケス トラのベルリン・フィルがオペラの伴奏としてオーケストラ・ピットに入るのはこの 時だけであり当時より話題を呼んだものです。 カラヤンが亡くなったあと、祝祭劇場の横の広場はカラヤン・プラッツ(広場)と 呼ばれるようになりました。 今カラヤンは、存命中に暮らしていたザルツブルグの隣の町、アーニフの小さな教 会にひっそりと静かに眠っています。最近、お墓参りに訪れました。生きているとき には決して近づけなかった彼のお墓が目の前にありました。 ☆ ☆ ☆ ☆
おまけ・・・・ウィーンのハイドン博物館で、大学時代に教えていただいた先生に偶然会ったこと がありました。私も先生もザルツブルグ行きの特急を待っていました。私がご挨拶し たことからステキな旅が始まりました。 先生と一緒にコンパートメントで3時間、音楽の話をして下さいました。グルックの 『オルフェオ』の話、ブルックナーのオルガンの話、指揮者のアッバードの話・・・ あの子も良くなってきたね〜!なんて。指揮者ベームはお煎餅が大好きだったんだ よ。そして、今日はね、カラヤンからの招待で音楽祭に行くんですよ。・・・とにっ こり。 私達にとって、カラヤンやベームは神様のような存在。その人から招待状が来る日 本人っているのぉ?と本気で驚きました。 ザルツブルグについて、「何処に泊まっているの?今晩は一緒に食事をしましょ う」と言って下さり、夕方待ち合わせをして由緒あるレストランに連れていって下さ いました。土地のお料理を御馳走になり、「あのね、ボクの宿の主人がね、生徒が来 ているのなら連れてこいと言っているから明日はこっちの宿にいらっしゃい。明日も ボクが案内してあげるよ。」 さて翌日、いくらするのか分からないまま先生のお宿に移り(何と、ウィーン国立 オペラハウスの合唱指導者は泊まっている、演出家はいる、日本からはNHkの方た ちはいる、そして部屋に果物まであった!)、市内観光。「あのね、今日は明日の初 日に控えてカラヤンがリハーサルしているけれど聴きたい?」 私「で、でもカラヤ ンってリハーサル見られるの嫌いですよね?」「ボクね、友達だから平気、行く?」 「ハイ、ハイ、ハイ・・・・」何度言ったことか!カラヤンはリハーサルを聴かれる のが嫌い、カラヤンのボディーガードは元警察官の大男。こんな事は日本の音楽雑誌 にだって書いてあること!果たして、楽屋口に行くとその大きな男の人が立ってい る。私は緊張に緊張!なのににこやかに先生は挨拶を交わしている。そして、すんな りと入れていただきステージの裏に入るや、レコードやテレビ、ラジオでしか聴いた ことの無かったあのベルリン・フィルの響きが耳に飛び込んで来るではないですか! その音に紛れて男の人の話し声、ちょっと嗄れたあのカラヤンの声が!胸の鼓動がカ ラヤンに聞こえてしまうのではないかと思うほどの静けさの中で粛々とリハーサルは 進んでいきました。夢のような時間でした。 次の晩、先生は初日のためにタキシードにマント、シルクハットの正装でさっそうと おでかけになりました。 翌朝私はウィーンへ帰る日、お宿代を聞いても「ボク払ったこと無いから分からない よ。」ハア〜?結局、「宿の主人がね、おまえの生徒ならいらないそうだよ」エ〜! 先生は駅まで送って下さり、列車が出発すると「日本に戻ったらしっかり勉強するん だよ」と一言声をかけて下さいました。胸の熱くなる言葉でした。 写真 ザルツブルグ 祝祭劇場にて (2003.1.14) <9> ザルツブルグ(オーストリア) その3 ゲトライデ・ガッセ(ガッセ=通り) ザルツブルグの旧市街はとても小さい。一周しても20分位。ザルツァッハ川に沿っ て一番近い通りが有名なゲトライデ・ガッセ。ブランドのお店、お土産屋、チョコ レートの店がズラーッと並ぶ。モーツァルトが洗礼を受けた大聖堂の横にある広場か らモーツァルト広場へ行き、もう一つの通りを歩くとそこが、ゲトライデ・ガッセ だ。通りを見上げると装飾が見事な美しい看板がぶらさがっている。クロワッサンの 形の看板はもちろんパン屋さん、鍵の形は鍛冶屋さん、馬蹄は馬具屋さん・・・等。 南から北から外国人が逗留する国境の宿場町ゆえ、言葉が通じなくてもお店が分かる ように看板を見れば見分けられるようになっている。今なんてその看板の中にマクド ナルドの『M』までぶら下がっている! 両側にあるお店を覗きながら進むと黄色い建物が左手にある。ここがモーツァルトの 生まれた家。建物は当時のオリジナル。台所の様子が偲ばれます。訪れるたび室内の 展示が変わっている。始めの頃には、幼少時代に使っていたバイオリン、絵画に描か れている指輪、そしてロケットに入れられた毛髪(当時は身分の上の人に挨拶すると き、目前で髪を切って手渡すことがあった)、ピアノ、初演当時のオペラの舞台模型 等も。モーツァルトが実在したということをここで実感したとき、鳥肌が立ったのを 今でも覚えている。 その通りを更に進み、突き当たり寸前を左手路地に入ったところの古くからやってい るインビスの『BOSUNA(ボスナ)』(東欧のホットドッグ)は格別美味しい!こ れを食べながら街を歩くのが私流のザルツブルグ散策術?! (2003.1.5) <8> ザルツブルグ(オーストリア) その2 ![]() 『ひとり言』のコーナーでザルツブルグのクリスマスを、『歌物語』で「きよし この夜」を、そしてこのコーナーで旅の紹介を始めた。私にとっては第2のふるさと となったザルツブルグ。そこから、クリスマスカードが届いた。 私が定宿にしているペンションのファミリーからだ。 ザルツブルグで休暇を取りだしてから早や7年になる。1年に2〜3回行っていたか ら、もう10回以上になるかな? 始めは日本のガイドブックの中から宿を選んだが、現地で知り合った友人に紹介され て以来ずっとこの宿に泊まっている。日本の人はきっとこういう宿はご存知ないだろ う。 民宿のように家の部屋を貸してくれる。オーナーは午前中に現れ、朝食の支度をして ベットメイクをしてくれる。朝食は美味しいパンとハム、ゆで卵、飲み物。家の鍵と 部屋の鍵をくれる。 宿代は信じられない安さだ。25ユーロ、¥3000しない。家庭的な明るい働き者 のオーナーと親しくなってからはよくおしゃべりをするようになり、今や親戚のよう だ。このファミリーの暖かさに惹かれてザルツブルグの休暇へと心が動く。よかった らこのペンションお使い下さい。Michikoから聞いた、と言うときっと親切に してくれるでしょう。 Frau G.Haugeneder Muenchiner Bundesu str.33 A−5020 ZALZBURG AUSTRIA TEL 0043−662−435499・430090 写真 ペンションの朝食 Frau Haugeneder と (2002.12.29) ![]() <8> ザルツブルグ(オーストリア) その1 私を知っている方はこのコーナーに「どうしてザルツブルグを書かないの?」と聞い てくださいます。・・・どうしてだろう?あまりに知りすぎて文章にならないので しょうか・・・。でも、【歌物語】のコーナーで「きよしこの夜」のお話をしたので そろそろ書こうかな・・・と思うようになりました。どの位の長さになるのか分かり ませんがお話ししましょう。 ザルツブルグと聞いて皆さんは何を思い浮かべますでしょうか?きっと「知らない !」とおっしゃる方もおられるでしょう。では、ミュージカル「サウンド・オブ・ ミュージック」はご存知ですか?現地の方に言わせると、「アメリカ人と日本人が騒 いでいるだけ」だそうですが、あのスクリーンいっぱいに広がった景色全てがザルツ ブルグとその近郊です。 そして、そして我が最愛のモーツアルト!が生まれた街です。 この地はキリスト教会支配地だったので、旧市街はたくさんの教会が建っています。 祝日の朝、その教会の鐘が一斉に鳴ったときの荘厳さは筆舌に著せません。 ドイツとの国境の町であり、イタリアからアルプスを越える道筋にあたる貿易の中間 点として栄えました。街のあちこちに、馬の像、馬の形の噴水、そして馬の水飲み 場、足洗い場もあります。貿易の荷物を運ぶ重要な動物だったからです。その所為で 外貨の豊かだったこの街はとても美しい姿をしています。地震など当然無いのですか ら建築年が1400年代のものもあります。1500年代にやっていたパン屋の店先 も残っています。『トマセルリ』と言うカフェはモーツアルトの時代から同じ所に あってやっていました。モーツアルトもパパのレオポルトも来店してコーヒーを飲ん だかと思うと凄いです。 この美しい町並みはユニセフの世界遺産に街ごと指定されています。 つづく 写真 冬のザルツブルグ(2002.12.23) |