<<2015年11月17日>>

中島 はる 氏の作品がとても好きで、殊ある度に歌っている。これまで歌った中でも『じゃがたら文』はお客様からのリクエストも多い。

今回の作品『京都に寄せる四つの歌』。初めて歌う。詩人 峯 陽先生の細やかな詩によくも相応しいメロディがあるもの!と、練習しながら心から感心しきりだった。
一昨年逝ってしまわれて、会場で聴いていただけない寂しさを抱きなから、それでも天へと届け!と願い歌った。
最近は、お客様にも中島作品のファンが出来て、歌うのがとても嬉しい。

《 観光ではわからない京都の日常が詞(うた)にあり、京都の文化振興課に電話でうかがって想像するもなかなか分からず、“百聞は一見にしかず”とばかり、 8月23,22日“地蔵盆”が行われる暑い夏の京都に下り立った。遊びでは何度も行っているのに、視点を変えた視察をすると、全く知らない違う京都、が現れた 。》

プログラムを決める際、中島 はる氏の作品と上手く合うものは…?と探した。
和の旋法が琴の様に流れる中島さんの作品…、様々な曲を候補にあげてみたがなかなかマッチしなかった。
思い付いて山田耕筰を置いてみたら、どっしりおさまって落ち着いた。太い縦糸の様な山田耕筰の音楽と、横に流れる様な中島さんの作品は横糸の様で、まさに男性の、 女性の音楽として並んだ。

『女の愛と生涯』はこれまで2度ステージにかけている。
初めての時は30代前半だったか。冒頭から数曲を乙女の様に歌ったのを覚えている。
2回目は、それから10年近く経った頃だろう。全体にやはり不完全燃焼だった。技術と詩への理解力不足だろう。

新婚で書かれたシャミッソーの詩も、裁判で結婚を勝ち取ったシューマンも、若くみずみずしく、エネルギーに溢れている。
それを、年齢を重ねた私が歌って、やっと全体に理解が及べた様な気がする。父や友人等の大切な人との死別を経験し、初めて遡った“生”を知った気がした。

三度目の正直。
これでやっと『女の愛と生涯』の楽譜を閉じることができる、と安堵の気持ちだ。
(「もう一度、聴きたい。」と言ってくださる方が居られて、またそんな時も来るかも知れません。)


<<2015年6月23日>>

久しぶりのサロンコンサートを開催。
病院のボランティアコンサートのプログラムを作っていた際、折角だからいつもコンサートに来てくださるお客様にも聴いていただきたい…と、企画した。
(このプログラムのお陰で埼玉の施設でも喜んでいただいた。)

皆さんにとって懐かしい歌の中に、私にも思い出深いものが、ある。
「学生時代」は中学2年の合唱コンクールの練習の楽しい思い出がある。
メンデルスゾーンの「魔女の歌」は1989年Bachコンクールの勉強で出会う。なんとドラマチック!と魅了され、どれほど練習したことか…。歌うと、 魔女が箒に乗って空をビュンビュン飛んで行く様が目に浮かび、以来何度となく歌った。
この度、久しぶりに歌ってみた。やっぱりワクワクする。
あの頃よりも、少しは上手く歌えただろうか…。


<<2015年6月15日>>

10日ほど前の急な依頼で、埼玉県内の老人介護施設に演奏でお邪魔した。
以前から同様な施設に演奏でお邪魔しているが、それぞれの施設で流れる空気が違っている。
今回お邪魔した施設はエネルギーが溢れていた。

広い空間のある施設でそこに集まられた皆さんは、およそ100人。
懐かしい歌を用意してみたものの果たして皆さんにどの位伝わるものか…と思っていたのだが、歌い出した途端みなさんが口ずさんで下さり、あっという間に5曲を歌い終えた。
皆さんの思い出に歌が結びついておられるのが伝わった。皆さんに束の間楽しい一時になりますのを願って。

また、クリスマスの時期お邪魔することが決まった。


<<2014年11月28日>>

予定が合わず今年は1回だけになってしまったけいゆう病院のボランティアコンサートにお邪魔した。
1年振りともなると少しずつ病院の環境も変わるもので、演奏の集中力が必要になる。
幸いに自分のコンディションも良く高い天井にも助けられ、気持ち良く歌わせていただいた。
雑踏の中で歌うのは、とても勉強になる。その中で耳を傾けてくださる皆さんに心より感謝している。
また、来年6月と12月にお邪魔する予定だ。

(今回はフルートの伊藤祥子氏にお手伝い願った)







<<2014年10月26日>>

サロンコンサートにもかかわらずリサイタルの様な重厚なプログラムになった。

20年前、1度コンサートに取り上げて以来、何度となく挑戦するもなかなか機会がなく、昨日ようやくその機会を得た「女の愛と生涯」。
若かりし頃は、恋する気持ちを歌っていたが、今回は人生の重さや夫を失う深い哀しみに想いが行った。

私もそれなりに生きて来たのだろう。 それ故、2回目の演奏…とは思えず、初めて楽譜を読む様な気持ちの練習になった。

また、名取ピアノサロンにはクララ・シューマンの所有していたものと同じ型のビアノ、グロトリアンスタインウェイがあり、今回それを使用しての演奏で、 当時の音色も聴けて私も貴重な時間をいただいた。そのピアノを巧みに操り美しい音を奏でるピアニストの見事さに驚き、その音と私の声の音を合わせるのは 本当に技術しか、ないと今更に思う。

「じゃがたら文(お春ゼロニマの生涯)」も、歌う度に良い曲に出会えた!と思う曲で、沢山の方に知ってもらいたく機会のある毎に取り上げてさせてもらっている。
歌う度、違った気持ちが沸き上がる。今回、故国に帰れない哀しみが身を切られる様に、諦念が力尽きた如く、私の心を揺さぶり震わせた。

なかなか聴く機会の少ないじゃがたら文に印象を持たれた方が多く、是非録音を!と仰ってくださったお客様が居られた。それも一考。
…、コンサートの演奏はその日の場所、楽器、演奏者、そして集ってくださるお客様等の総じて生まれる物。もう1度演奏しても決して同じにならないのが醍醐味。 その時立ち会えた者だけが体感できる一体感。一期一会である。

ご来場の皆様、本当にありがとうございました。


<<2013年8月23日>>

8月23日に病院のボランティアコンサートを無事に終えてホッとしている。
この夏の暑さの中、部屋での練習の他、1ヶ月早く始まった“第九“の指導の仕事に忙しく、疲労から咳を伴う風邪をひき、大変な思いをした。
幸い咳をしても歌の声は何とも無く、この時ばかりは正統なベルカント唱法を教えてくれた恩師に心の中で感謝した。

入院や通院なさっている患者様、毎回、わざわざ病院まで来てくださるお客様、そして、演奏を終えた際お花をくだすった見ず知らずのお客様に聴いていただけた事に、 心からお礼申し上げます。
たったお一人の方にでも、私の歌が届いて喜んでいただければ、私の歌っている意味も有るのか…と思うこの頃!




<<2011年11月3日>>

2010年はショパン生誕記念年、今年2011年はリスト生誕記念年。

そう、彼等は一つ違い。
同時期にパリで活躍し、そのピアノ奏法の違いに各々のファンは競い合う。
・・・が、先に活躍していたリストは、後にパリに来て、音楽界、社交界に暗かったショパンを助けた。
彼等は互いに、違う才能を認めあっていた。

常にコンサートの心強いパートナーである、ビアニスト 名取典子氏がサロンコンサートを催し、リストを取り上げた。
名取ピアノコレクションの中には、当時リストが愛用していたのと同じ、同年代のエラール社のピアノも所蔵されている。 そのピアノを使用してのコンサートだった。
( 昨年ショパンのコンサートを共催した際はショパン愛用と同年代のプレイエル社のピアノを使用した )
プレイエルのピアノよりも音はしっかりしているが、現代のピアノよりも繊細な音色を持つ。
人よりも一関節程も長い指で、「ピアノの弦をよく切った」とのエピソードがあるが、エラールなら合点がゆく!現代のピアノで 考えればそれは大変な事だ。

そのサロンコンサートのゲストとして、リストの歌曲「おお、愛せる限り愛せよ」(ピアノ曲「愛の夢」の原曲)と、 リストが他の作曲家の歌曲をピアノ曲にアレンジした作品があるのだが、その元歌を演奏した。

若い頃から、宗教心に支えられ晩年聖職者になったリストの選んだ原曲は、清らかな作品が多い。
華やかな風貌とピアノ曲
とは違い、その精神はピュアに憧れていたにちがいない。

〜演奏した 曲 〜
ショパン「乙女の願い」(原曲)
シューマン「献呈」(原曲)
シューベルト「アヴェ マリア」(参考曲)
リスト「おお、愛せる限り愛せよ」


<<2011年10月28日>>

 病院でのコンサートが1年になり7回開催する事ができた。
体調が万全なら何ともない事が、多忙で体が疲れてゆくとスムーズにいかなくなる。年間を通して様々己を知る事ができた。
それでも、何とか続けられたのは回りの方々の協力があってこそ、と感謝の念が絶えない。

今回は季節がよいのか?
はたまた季節の変わり目で体調崩された方が多いのか?
いつもの倍近いお客様が聴いてくださり驚きだった。病院の担当者が重い長椅子を三台運んでくださった。

 今回はオーボエ(木管楽器)でドイツ留学していた高校の教え子が帰国したので、客演をお願いした。
オーボエの優雅な音色が響き出すと、それまで歌で熱くなっていた空気が、一変。爽やかで涼やかな空気に変わった。
せっかく出ていただいたので、何か一緒に!とバッハをプログラムした。バッハは懐かしく心踊るが、技術的には久しぶり なこともあり、また、 オーボエは吹きながら吸えるそうで、息を太く一気に吐き出す歌とは違い、大変勉強になった。

コンサートを終えると、様々な方々が声をかけてくださるが、1人美人が寄ってきた。
「私の顔覚えていますか?」「!」確かに覚えていました…が、お名前は…。
 親切に名乗ってくれたその美人は、懐かしい、やはり高校の教え子だった。検査に来たのだそうだ。
こんな機会も、この病院コンサートの嬉しいところ。

 次回は12月22日の予定。


<<2011年8月26日>>

 8月は“夏休み”がテーマ。夏は大人でも気分的に解放されるも。曲も、第一弾として、オーソドックスなミュージカル ナンバーを揃え、 また歌ってみたかったガーシュウィンの「サマータイム」を入れた。

   日頃もヨーロッパ言語との格闘だが、今回は英語。暗譜の感覚が違うらしく、なかなか我が身と我が心に染み付かず時間がかかった。
 詩に夢中になって歌っていたらことの他好評。…何かがわかってきた。

 病院サイドの担当の方々とも、コンサート6回を数え、ようやく気心が知れてきた。沢山のお客様が聴いてくださる事を喜び、 また次への励みにする。


<<2011年6月24日>>

6月には横浜には開港記念日がある。
海に因んだプログラムにした。

 うみ〜海・かもめの水兵さん・赤い靴・青い目の人形…etc.
 そして、今年はリスト生誕記念年。
 ピアニストさんに“ラ・カンパネラ”を演奏していただき、私は歌曲“愛せる限り愛せよ”(ピアノ曲“愛の夢”の原曲となった もの)を歌った。

 演奏中、すらりとした紳士が立っておられそちらに目をやれば、青き芸大時代、仲間の師でデュエットのレッスンにうかがった ことのある先生だった。
 曲間に目でご挨拶しながら、引き締まる思いで演奏を続けた。


<<2011年4月22日>>

 4月下旬はゴールデンウィーク目前、“初夏”。「こいのぼり〜鯉のぼり」からスタート。

 私がボランティアで歌わさせていただくにしても伴奏が必要。いつもリサイタルで弾いてくださる名取典子氏が協力して くださっている。

そしてもうお一人、伴奏にご協力いただける片野敦子氏に助けていただき、このコンサートを定期的に続けられる目安がついた。
心より感謝している。


<<2011年2月25日>>

「冬の名残り…」を予定して“冬の歌”を数曲用意したが、当日予想外に気温が上がり、お客様にお詫びしながらの演奏となった。
 2月には、バレンタインデー!
 プログラムにも「愛」に因んだもの…をと、高校の後輩であり教え子のバリトン今村啓介氏を迎え、オペレッタをプログラムした。
オペレッタの中心はウィーン。そのウィーンの薫りする曲を歌う私自身が、ウィーンの空気に包まれ、景色に囲まれ…ほんの 一時ウィーンに行っていた。


<<2010年12月24日>>

二回目になる〈けいゆう病院〉コンサート。
季節は12月X'masシーズン。あまり宗教色を帯びず楽しんでいただける選曲にした。
今回は音大を出た高校の教え子達にフルートとピアノをお手伝い願い、私は鈴(なかなか効果的)を持ってのあっという間の30分だ。
集中力が増し、調子が上がった頃に終わってしまうのが呆気ない。アンコールが出たが、病院のコンサートなので、叶わない。
みんなで“聖しこの夜”を歌っての散会となった。

<<2010年12月12日>>

久しぶりに再会した心地の、ベートーベン。前回演奏した時と今の自分が変わったのを感ずる。

体力も、そうであるがテクニックも変わり、楽曲に向ける気持ちがいっそう深くなっている。

『交響曲第九番』は交響曲である。けれど第4楽章に、感銘を受けたシラーの詩を付けた思いを手繰れば、それを歌う者として、 “詩を伝えたい”と言う思いが強まる。
器楽的なメロディを、いかに歌として歌えるものか…とソプラノパートと対峙する。詩から、曲から来るものを感じる。
 幸い指揮者の見解にも共通性を感じ、伸び伸びと歌わせていただき、私の中の“第九”に一つ折り合いがついた。

<<2010年11月5日>>

 〈けいゆう病院〉でのミニコンサートを定期的にする事になった。(次回は12月24日(金)。来年は偶数月の第四週目金曜日)

 その第1回目を11月5日(金)にスタートさせた。
秋に因んだ皆さんが親しめる日本の歌を久しぶりに選び、私も楽しく歌った。
いつもコンサートにお出でくださるお客様まで、駆けつけてくださりお陰様で楽しい一時になった。

こちらの病院は、三角に高い天井というモダンな設計のロビーにグランドピアノが設えてある。(ピアノの予算が計上されている んだなぁ…と感心)

既に、何ヵ所かの病院で演奏を『ボランティア』として提供している。その定義は難しい。
 我々は『良い演奏』を喜んで『ボランティア』しようと思う。それ以外に交通費や伴奏のお礼が経費として必要だ。 公の依頼だと、金額は別として経費は出るが、そうでない事も多い。
 『良い演奏』を提供し続けるためには大切な事だと思っている。

 殊に、病気の方が居られる病院の演奏は責任重大。心を癒し、体を癒していただきたい…といつも精一杯務めさせていただく。

今、病院でのコンサートが流行っているようだが、いつの日か『演奏』が、『成熟したボランティア』活動になる事を願う。

それでも今、来月のプログラム(クリスマスに合わせた)を楽しく考え、練習をしている。
お近くにお越しの際は、是非遊びに来てください。お待ちしております。
(2010.11.05)

<<2010年5月8日>>

 4月某日。本番の伴奏合わせに出かけた。
 “1840年製のプレイエル”と。
 初めてのプレイエルの音色に“戸惑い”と“喜び”。
 ショパンの作品がこの楽器から生まれ、その音色を実際に耳にできる幸せに身体中が歓んだ。

  現在のピアノで奏でる短調は辛く痛いが、プレイエルでは甘く切ない。哀しい詩についたメロディにショパンが想定した 様(さま)が、わかる。

 5月8日本番。デパートのコンサートイベントで、テーマが『ショパン』。
ショパンの歌曲を紹介するのに招かれた。

 デパートのオープンスペース「ホワイトモール」は横にエスカレーター、前にエレベーター、食堂階と言う環境。 (11時〜、13時〜、18時〜、に各々30分の中に6曲の演奏)。
 1840年製プレイエルのデリケートな響きには過酷な環境。

 一回目は開店1時間後、まだ店内の空気も澄み、お客様も適度の数に、プレイエルと歌の響きも、まずまず。
 二回目、三回目と回を重ねる毎に、お客様も増え、階の喧騒も増す。
こう言う環境で集中力を維持するのは普段より一層エネルギーがいる。

けれど、回を重ねて歌う度、各々の曲に新しい発見があり、驚きと新な喜びを味わった。
大手デパートのプロパガンダはさすがで、高校時代の同級生が、小冊子の広告で名前を見て聴きに来てくれ、卒業以来の再会。 教え子だった卒業生や、友人知人が多数駆けつけて聴いてくださり、暖かいお客様に感謝の楽しい一時となった。
(2010.5.8玉川高島屋ホワイトモール)

<<2009年6月21日>>

 譜読みを始めた時、何と難解な…と、繰返し練習していた。何度かオーケストラの響きを聴いているうちに、 “和声の変化、テーマの出現”が、作曲者 山田耕筰が学んだワーグナーや プッチーニの影響であると理解できた。
音に慣れて行くにつれ、“お吉”としての、自身の有り様を考える。
今回の演奏は『序景』のみであり、“お吉”のシーンはほんの一場面。日本の変革期に巻き込まれるまでの、下田一の美人 芸者であった頃のシーンである。
しかし、歌詞には、先の運命が予感される。
その短い言葉にどう込めようか…、考えた。

指揮の甲賀氏は、日頃黙して語らず。
しかし、降る棒は大変雄弁で、音楽を編んでゆく心強い味方だ。いつも、豊かな気持ちにさせていただく。

この日のプログラムは本当に良い物で、とても良いコンサートになった。
参加させていただいて嬉しかった。(2009.6.21)

<<2009年5月29日>>

〜市民広間演奏会〜

市役所のロビーは、演奏の環境としては劣悪。
昼休みは、通路代わりに通る者、お昼のパンを売る呼び声、ランチに行き交う人…。騒音だらけ。
その喧騒に、演奏前に心が折れる。
雅な小倉百人一首からの調べが(果たしてどれ程に奏でられるだろうか…!?)
幸いに、歌い進んでゆく内に、辺りに静けさが広がり、小倉百人一首の女の恋心に想いを馳せる事ができた。
('09.5.29)

<<2009年5月16日>>

〜山王病院ロビーコンサート〜   プログラム

主治医 小坂眞一先生主催、山王病院での心臓病予防の講演会の後、一階ロビーで一時間ちょっとのコンサートが開かれ、 私も25分間ほどお手伝いをした。

病院でのコンサートの何回かの経験の中、“歌”を通して患者さんにお役に立ちたいといつも思うが、でも何が出来るか…? 常に自問自答。

私自身が心身共に健康であり、音楽に向き合う、としか答えは出ない。
360度座られているお客様に、二階から聴いてくださる入院なさっている患者さんに、“優しい曲”を選び、 健康な技術で真心こめて歌うだけ。お元気になられますように。
(2009.5.16)

<<2009年4月22日>>

 オルガンのハーモニーから曲は始まる、フォーレ『レクイエム』ソプラノソロ。
 澄んだ音色とレガートな唱法が求められる。
弦楽の倍音に包まれ、我が声の倍音と和する時の悦びは言葉にはできない体の感覚。

その感覚を再び味わいたくて(もう一度歌ってみたい!)と思いながらステージ上の席についた。
(2009.4.22)

<<2009年3月28日>>

“春の彩り”と題したコンサートに出演した。

琴との共演は久しぶり。季節に合わせて“さくら”を、そしてピアノとは新しい作曲家 中島はる氏の作品を用意した。 こちらも和のテイストを持つ“春の夜の”と言うタイトルの物(他一曲)を選んだ。
開花宣言から想定するに桜花は満開の予定だったが、生憎開くのが遅れ“歌の花”が先に開いてしまった。

中島氏の作品は小倉百人一首より女流歌人の和歌から、現代詩人 峯陽氏が詩を創り、後半に和歌のオリジナルを詠う構成になっている。
平安の雅さの中に伸びやかに恋をし、詠う。今より率直に。
平民の気配のない文学ではあるが、“女心”はいつの時代も変わりはないのだ。

今年のリサイタルは今回紹介した二曲を始めとする組曲(全五曲)を歌うつもりだ。
(2009,3,28)

<<2008年7月6日>>

ウィンナーワルツは独特のリズム感。
 それを外国人、ましてやアジアの我々が演奏するのは、日頃オーストリア贔屓の私ゆえ、その空気感は理解しているものの…、 果たしてどこまで体現できるものか、と憧れつつも初めての曲と対峙する。
 果たして、指揮者、オーケストラ、私、と三様のリズム感覚が違う…。コンマスと打ち合わせ。
“ボクは指揮者見ていませんよ。どうぞ自由にやってください。付けますから”と。
(自由に歌おう)放たれた。
リハーサルでも、本番は一層大きくコンマスから“Vrava”をいただいた。
初めての事だった。(2008 7,6)

<<2007年8月24日>>

久しぶりに横浜シティオペラ主催のコンサートに出演した。
何を歌っても自由、との事だったので12/20予定のリサイタル『ショパンを歌う』から、まず三曲送り出してみた。
慣れない言語(ポーランド語)の暗譜は、それはそれは大変だったが、歌にしてみればショパンの曲は軽やかにホールに飛んでいった。

<<2007年5月26日>>

シャルパンティエ作曲『ルイーズ』は当時人気のフランスヴェリズモオペラ。R.シュトラウスの様なうねるフレージングと フランス音楽独特の絶えまない和声の変化。それまでのロマンチックなオペラと一線を画する。話は他愛もなく、両親の反対 する恋物語にうねる音楽が何とも難解。
今回は三幕の最も有名なルイーズのアリアとそれに続く恋人ジュリアンとのシーン。以前『ファウスト』でも御一緒いただいた テノールの方と二度目の共演。僅か三回の合わせにただ稽古に歌う中に、曲を通して通ずるものを感じるのは珍しい。本番では それが拡大され曲の難解さはあっても楽しいステージとなった。
(写真は伴奏者と。'07,5,26)

<<2007年2月10日>>

今年から今までの演奏会と共に、少し御返しに施設等にうかがって歌わせていただこうと思っている。
今日が第一回目。私の細やかな気持がお届けできれば…と思う。まだまだ2月なのに春の様な暖かさに、 「冬の歌」は何だか違和感。忘れかけた歌を歌い伝えたいと思いつつも、温暖化で四季の境目が無くなり 歌の中の世界にある日本の冬の元風景が薄らいでゆくのは寂しい…。

<<2006年12月23日>>

区のコミュニティ(中学校内を区民に開放)での演奏は、部屋が普通の教室と同じなので音響効果を望め無いので、 大変に神経を使う。お客様にもホールと同じ響きがお届け出来ないのが、残念。 でも家の近くで気軽に聴けるのは、何よりかしら。
X'mas間近の一時、心を込めて届けました。

<<2006年11月27日>>



リサイタルを終えると頭が空っぽになる。各々の曲をまんべん無く真心込めて歌い伝えれば、それらの曲はもうお客様のもの。 あの曲が良かった、この曲が良かった…と感想をいただくが、それはお客様各々の思い出に結びつき、再び蘇るから。 私ができたのは思い出に結びつくよう歌う事。
愛らしい唱歌ばかりのコンサートを聴いて涙してくださったお客様は心からの私の喜び。
(2006,11,27表参道)

<<2006年10月22日>>

演じ終わった役が、奏でた音と共に、未だ体の中に残り少しの間抜けない…。オペラの後は何時もそう…。 しばし私はそれを味わい、そして次のステージの曲に向かう。
グノーのメロディは歌いやすく美しい。狂乱のシーンですら愛らしく哀しく美しい。

<<2006年5月21日>>

“恋”を思い出した。 オペラ『ファウスト』(グノー作曲)の一部のマルグリート役の楽譜を読み、発音が言えるにつれ、歌詞の意味を考える。 始めは客観的に娘の恋心を想像する。…が歌に命を注ぐにはそれでは足らず、あれこれ想いを巡らせている内に、懐かし い“恋”に辿りついた。『あ〜そうだった…。刻まれるそのひととき、ひとときに胸はトキメキ、恋の眼差しに幸せが溢 れた』…と。共演の男性陣はマルグレートの歌詞に『貴方への愛に死んでも構わない…』とあると、「これは自分の“死” への予感かな?」私は一言『恋する娘は死ねるのよ!』
〇十歳も差し引いて14〜15歳の娘の恋心を演じるのは、(お客様にはどう写ったかは別にして!)楽しかった。

<<2006年4月16日>>

幼い頃からの知人が“同窓会幹事”と言う事でア・カペラで『君が代』の依頼を受けた。(同窓会に“君が代”?)と 思ったが103回目の同窓会と言う伝統の中の式典でそれは厳かなもの。体育館に1000人のお客様と言う条件の中、前日、 当日二度のリハーサルをして本番に臨んだ。格調高く歌いたいと思うものの果たして…。僅か2分の本番は心を込めるばかりだ。

<<2006年4月4日>>

以前勤めていた、表参道の河合楽器のティーサロンで『みんなの知っている曲ばかり』のコンサートの依頼を受けた。
本来コンサートホールでは無いので音響は望むべくもないが、お客様との近い距離の中で、心優しい曲をお伝えするのも、 素敵!と改めて思う。
久しぶりに会った会社の、旧知の方々との再会を喜べたのも、私には何よりで、かつてのこちらでの歳月を懐かしく暖かく 思い出された。

(4/4)写真 伴奏 由良郁子氏と


<<2005年10月16日>>

系統立てて本格的にフランス物の勉強を始め、二回目のコンサート。イタリア歌曲で有名な『Piacer d'amor』(愛の喜び)を オリジナルのフランス語で、グノーのオペラ『ファウスト』からマルグレートのアリア。二曲ながら、正確な発音とレシタティーヴォを 伴う12分を越える長大なアリアをドラマ性高く歌うには、それまで馴染んできた言語で想定できる時間とエネルギーを優に越えての勉強 となった。ステージに立って晴れてその曲を送り出せば、新な自身への感動が体いっぱいに拡がった。

<<2005年7月10日>>

新たな世界の扉が、私に開いた!
これまで勉強した言語の歌曲も、歌い尽せない程の量。新たな言語に挑戦し、歌うとはついこの間まで考えられなかった。 …が歌わない事で芽生えた劣等感は大きく膨らみ、私を憂鬱にさせた。あらがいかねて昨年から文法の勉強を始めた。 「歌」は「当分、先」と思っていた矢先、機会はことの他早く来た。「初めて」に伴う大きなエネルギー。扱いかねて身動き出来ない 自分との闘い。専門の先生方の御助力を借りて、体にまとわりついていた重い鎖を解く。…と、現れたのは、やはり「私の自由な、歌」 だった。

<<2005年2月14日>>

今回は小さな可愛いお客様、二歳半〜六歳半のお客様は果たしてどんな反応?初めての事で想像がつかない。園を訪れたのは午前10時前。 それぞれのクラスでの作業後"おやつ" 。仕草も可愛らしく食べていた。さて本番は午前11時から、先生から言い聞かされていたようでお行儀良く座っている。 彼等に合わせドレスは花柄。『めだかの学校、七つの子、たき火、犬のおまわりさん、お使いありさん、山羊さん郵便…』お客様の知ってる曲(この園では幸い 昔からの童謡も歌っているそうで)は一緒に歌いそうになるのを堪えて聴いている。知らない曲『電話、むこうむこう、向こうのきしへ、星とたんぽぽ、私のお 父さん』にはポカ〜ン。お話しながら進める。「昔の電話は皆黒くてチリリンって鳴ったんだよ〜。何の虫が出てきた?その蝶々は何色だと思う?…」一斉に 大きな声で「♪☆※♂♯×」答えてくれる。上手に聴いてくれたお客様と一緒に最後『どんぐりコロコロ』を元気に歌って終了した。小さな手と握手しながら 「大きな声が出るね〜♪」に送られてステージを降りた。私の方が彼等から素晴らし いバレンタインプレゼントをいただいた心地だった。

<<2004年12月19日>>


ニ年振りにベートーベンの"第九"のソロを歌わせていただいた。もう何度目の"第九"だろうか…。
三楽章からソリストの席に座っている時に、今までと違った感覚を味わっていた。(何だろう…?)オーケストラの響きを肌に受けながら、 私はベートーベンの音楽に包まれていた。しかも『私の心!』が、だ。何度となく歌っているはずの曲がまるで新しい曲の様に新鮮に、 しなやかに思われる。
交響曲ではあるが歌詞がある以上、それを歌い手として、しかも女性として歌う以上『歓喜』の心を女性らしく高らかに歌いたい!と切に思っていた。

<<2004年9月23日>>

'04.9.23前回の本番から三日目、再びコンディションを整える。子供の頃にFMから、レコードから聴こえていたDiva達の様に、 流麗なメロディを美しく叙情的に歌いたくて勉強している。あの人達の様に息を飲むようなピアニシモが歌いたくて勉強している。オーケストラの 虹色の音色に囲まれると、不思議な力が私を包みホールを包む。Diva達が微笑んでくれる様に…、歌いたい。と、終わった今も思う。

<<2004年9月20日>>

『ルサルカ』を歌う私の前には2000のお客様、後ろには生徒達。そこに立つ幸せを感じずにはいられない。
'04秋のシーズンが始まった。教えに行っている高校のブラスとの共演。気遣ってくれる彼等の心と想いが伝わり密度の濃い空間となる。

<<2004年6月19日>>

私の知っている曲などたかが知れている。コンサートで聴いたり仲間に教えてもらったり。勉強家の仲間には『そんな曲も知らないの?』やら 『歌ったことないのぉ?』と、身も縮む思いを幾度もする。(機会があったらそれらの曲を本番にかけておきたい!)が日頃の思い。その機会を 横浜シティオペラのメンバーズコンサートに得、またひとつの曲を識った。早逝の詩人 立原道造の若さ溢れる瑞々しい詩に柴田南雄の厚さのあ る音をどうひとつにするか…。(曲名『優しき歌』)時間をかけて噛みしめてさらい、幾度も詩集に目を通す。当日、解説者が「この曲はただ叙 情的に歌うのではなく、爽やかさ中に理性が…」等とお客様に語り、曲中最も美しい二編が朗読される。あまりに静やかに美しく、もう歌はいら ないのでは…と思われた。が、逆にそこからヒントをたくさんいただき、本番のステージ上で歌いながらも益々理解が深まり、曲に対する想いも 更に増した。

<<2004年5月11日>>


市民広間演奏会に出演したのは何年振りだろう。もっと未熟だった頃から出させていただいたが、 リハーサルが環境的に出来ず、本番緊張することになるので勉強になる。今回はお客様には耳慣れない メロディで恐縮したが、本格的に勉強を始めたフランス歌曲を初披露した。ドビュッシーの「星の夜」は エレガントで美しく艶っぽい曲であるが、僅か16歳の時の初めての作品。今更に彼等の天才振りに言葉もなく感服する、 と同時に自身の凡庸さを身にしみて思う。

<<2004年4月21日>>

ソプラノに産まれたからには、歌いたいと思う曲がある。
その中のいくつかは既に歌い、いくつかは自分の声と合わず断念し、そしてまたいくつかはまだ歌い残している。 昨年、先生に「他の曲と併せて勉強すれば『それ』も歌えるようになるわよ!」いつの日か『それ』が歌えるようになりたい…と実現を夢見た。 ところが実現は突然やってきた。
ワーグナーの「タンホイザー」のアリアと共に『それ』を歌う依頼が来た。しかも二ヶ月後。 僅か二ヶ月で歌いあげられるだろうか?先生はその依頼を聞いて絶句した。そして「歌の中の王様のような曲だよ!」と。
曲との格闘が始まった。多くの技術と変わりゆく心の描写を必要とする。限られた期間の中の凝縮された時間を経、 その日の幕は開いた。彼女の真実の心と官能は音になったか?女性からも憧れられたその人は、ビオレッタ、『それ』はオペラ『椿姫』…。

<<2003年12月18日>>

一年最後の演奏は再び、病院での演奏でクリスマスソングを中心にしたものだった。 始めの2回はロビー、次の2回は病棟。
ロビーには外来の方、入院していても比較的お元気な方が聴きに来て下さった。2度 とも聴いて下さる患者さんもいらした。(この方は3回目の病棟の方まで来て下さっ た) 病棟では病室のすぐ近くで演奏。顔色の悪い方が出てきてくださる。出てこられない 方も、病室で聴いて居られるとのこと。具合の悪い方を前に出来るだけ明るく振る舞 おう・・・と思いつつ、しかし聴いて下さっている病気の皆さんはどう思われるのだ ろう・・と気にかかる。私達の健康を羨まれるだろうか?喜んで下さるんだろうか? 心の中で考えてしまった。・・でも!真心込めて歌います。それしかできません。病 院の中での日常のひとときの変化となれば・・・。歌のプレゼントのお返しに大きな 学びをいただいた。

演奏を終えて控え室に戻る。ボランティアを斡旋して下さる団体の方が「来年この時 期もこのメンバーでお願いします」と予約される。「???」こちらに意志はないの かい?今回は私達がやらせてくださいと言った。けど、来年はまだお願いしていませ んよ、と言うことなのだが・・・。日本のボランティアの難しさ。依頼したら本来 ギャラが発生するよ!そう言われてその日歌った曲数を指折り数えたら、延べ30曲 を越えていた。喜んで下さって疲れも忘れていたけれど、来年の予約をされたらドッ と疲れが出てしまった。健常の方達が『演奏』の価値をもう少し分かっていただけた ら有り難い・・・と思う日だった。
<<2003年11月30日>>
あなたの歌・わたしの歌 その七 の特集ページへ

<<2003年11月15日>>
3年ぶりで桜丘高校ブラスバンド部と共演した。皆さんに「え〜、ブラスバンドぉ? え〜、高校生?」と驚かれ心配される。しかも曲目はオペラアリア。ところがどっこ い、我が愛する生徒達は心を込めて演奏してくれました。私が演奏家であることは話 に知っていても、実際聴くのは初めて人が多かった様で始めの合わせでは、みんなの おメメが点になっていました。私の歌声の所為なのか、私を怖いと認識しているのか (笑)それはそれは心のこもった伴奏でした。それは営業でカップリングされるプロ のオーケストラよりもず〜っと熱くいい演奏でした。その思いに答えて私も熱く歌い ました。それがお客様に伝わると嬉しいです。私は幸せ者です。教え子達と共演でき て。みんなありがとう〜♪
<<2003年10月3日>>
懐かしいと思ってしまう関内ホール。オペラ“コシ・ファン・トゥッテ”、教えてい る高校の合唱祭等想い出深い出演が多い。今回は横浜市役所ロビーで演奏する団体主 催の市民広間コンサート。珍しい女声トリオの声楽曲を歌った。
フランスのマスネ・フォーレとクルシュマンというドイツ人の作品。長い間、苦手意 識で抵抗していたフランス語に正面から取り組む勇気が出て、勉強してみれば何のこ とはない。何故今までやらなかったのかな・・・。良い曲に出会えるチャンスを閉ざ していたが、これからはフランスの美しい曲を歌える喜びが増えた。柔らかなメロ ディと和声に身を委ねるように歌えたら・・・。そのきっかけになるマスネ・フォー レの楽曲だった。

<<2003年9月10日>>





病院で歌う二度目の機会を得た。コンサートホールとは全く違う条件の中、曲も入院 している 方に配慮して選曲される。病棟では入院されている方のお心が少しでも軽くなられる ことを願って歌った『見上げてごらん夜の星を』が、私自身の心に沁みた。受付ロ ビーにはお手伝いしているコーラスの方々が来て下さっていた。日頃、人の評価に 戦々恐々として歌うのだが、お役に立ちたいと思って歌うのは本当に深い喜びがあ る。本来の“演奏”と言うものだろう・・・。機会を下さった方々、聞いて下さった 方々に心からの感謝を送る。



<<2003年4月23日>>
歌を始めた頃、声楽の先生を始め周りの人に「モーツァルトは基本ですよ」とよく言 われた。その時はどういうことか分からないながらもモーツァルトのアリアを勉強し たものだ。
今年は基本に返って勉強しよう!と決めた途端、モーツァルト作品の演奏の依頼!! 早速楽譜に目を通した。
ん?身体の芯が疼いてきた。たくさん学んだ身体の、懐かしさの記憶。あぁそうか、 私の歌の原点はモーツァルトなのか!頭ではない身体の反応に我ながら驚いた。 今回はミサ曲。私の大好きな美しい曲が入っている。嬉しいけれど難しい。そう、難 しい。モーツァルトは器楽のように歌のパートを扱う。透明な音やフレージングが物 を言う。なかなか出来ない。ひたすら練習あるのみ!本番では上手くいったり、凹ん だり・・・。それでもモーツァルトは美しい。もっと、美しく歌いたいと切に思っ た。


今回共演した合唱団は、もう何年になるでしょうか、発声のお手伝いにうかがってい るところです。初めて共演しましたが、指揮の先生始め合唱の皆さんとの一体感は言 い表せない至福の時でした。

<<2003年4月6日>>
4/6に『横浜シティオペラ創立20周年記念コンサート』に出演した。私は創立当 時からのメンバーだがこの演奏会には出演予定はなかった。病気になられた方の代役 でアンサンブルのソプラノとして出させていただいた。創立当時からのメンバーはほ とんど出ておられず(・・・といっても、私がす〜ごい年寄りであるわけでもないの だが・・・。)何とも言い様のない物ではあったが盛りだくさんの曲と出演者に、 もっとじっくり聞きたかったと言うお声も戴いたのだが、みなとみらい大ホールで歌 うのは何と心地良いことか!!このホール、本当に正直で3階は誰の声も上に行くの で問題がないが、2階、1階の席に綺麗に聞こえるか、と言うことが歌い手の技量の 判るところなのだ!
<<2003年2月23日>>
後半がオペラの、コンサートに出演した。普通のコンサートとは違い、舞台や上手 下手に大道具、小道具。
そして舞台監督を始めとする多くのスタッフ!人々のエネルギーがうねるような独特 な雰囲気の中での久しぶりの高揚感。

<写真 アルトの方と>

<写真 楽屋にて皆で!>
 ステージで白く輝くライトの中、テノール君が言いました。「ライトを浴びて歌え るのはやっぱりいいものだな〜」
ええ、そうです。本当にステキ。その中で自然体で歌えればもっとステキ。その為に 練習しているのかな〜。
<<あなたの歌、わたしの歌(其の六)>>(2002.11.23)
 みなとみらいの街にクリスマスのイルミネーションが輝く頃、毎年私のコンサート がある。同じ季節にコンサートをすることで皆さんが季節感と共に覚えていて下さ り、おなじみのお客様がいらしてくださる。

今回は日本の歌のシリーズ『あなたの歌、わたしの歌 その六』でした。今回の企画 は、ひとつの詩にそれぞれの作曲家がつけた曲を集めて演奏した。
歌詞が同じで覚えやすい?・・・と思っていたのですが、とんでもありません。曲の ニュアンスの違いで全く違った曲になり、エネルギーは曲の数だけ必要です。聴いて 下さった方々は『同じ詩にこんなに違う曲があるのネー!』と言う感想になりますが ・・・。
曲の相談から勉強に付き合って下さる伴奏者の方や、お手伝い下さったスタッフ、 髪、ドレスの担当の皆さん。たくさんの方のご協力があって初めてできるものです。 この場をお借りして御礼申し上げます。
来年も11/30(日)を予定しています。次の企画をお楽しみに。
(写真は、みなとみらいのクリスマスツリー)
<<オルガンとの共演>>
偶然にも上半期に、パイプオルガンと共演が集中し、また、オルガンでの伴奏は初めてだった。
武蔵野市民文化センターのオルガンの音色は美しかった。今回2カ所のコンサートホールと2カ所の ドイツの教会で歌ったが、オルガンのパイプの種類を決めてゆく、一本のパイプ音色全体は変化させることが できないので、パイプの組み合わせ方で、様々な色を出していく。それが、オルガニストとしてのセンスが 出るところだ。
宗教的な詩に曲のついたものがやはり多く、敬虔な気持ちに自然になった。
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4/28 カールスルーエにて
<<ヨーロッパの教会の響>>
湿度の低い、石の教会は、残響が長く、ピッチも保ったまま伸びていく。自然に呼吸するだけで、 本来発声するべき、ポジションから声が軽やかに出ていく。「環境が育てる」というが、まさしく その通りの体験だった。
<<古代円形劇場の響き>>
(シチリア カターニャ)

抜けるように高い青空の下、舞台の後ろは海。山の上の劇場。古代の人は、ここで歌 い、舞ったのか・・・。

天井のない空に抜けるステージはどんな響きなのか知りたかった。ガイドの方のご配 慮でステージに立った。
モゾモゾ歌ってもなんの変化もない。深く、深く息を吸って出した声に柔らかい音と なった響きがかえってきた。
天井が無いことなど、何も気にならない。
この柔らかな音に包まれ、古代の人々の中に私は、いた。
(写真の中、クリーム色のセーターが私)
<<リュートと共に>>
リュートの響きは格別です。作品は限られた時代のものであるが時代そのものを奏で る。この響きは人を魅惑する。・・・そして、気のあった奏者との演奏は、幸せを感 ずる。
この響きに乗って歌うと、いっぺんにその時代へと導かれる。まるで貴族の令嬢にで もなったように優雅になる。楽曲に触れると、どれほどその時代に優れた芸術がある かを知る。
同時に、自身がその時代をより知らねばならないと。
大分のホールはその響きにとても相応しいものだった。





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